世界を相手に活躍するウズベキスタン人女性
世界を相手に活躍するウズベキスタン人女性
日本語と日本文化は信頼関係構築の鍵
シトラ ムイディノワ
(フェルガナ出身)
2009-2014: のりこ学級
2011-2014: 教育・経済カレッジ (リシュタン、フェルガナ)
2015-2017: 東京国際交流学院
2017-2021: 武蔵野大学 グローバルコミュニケーション学科
2021-2022: 株式会社ファーマフーズ 営業職
2022-現在: 亀田製菓株式会社 海外事業部 担当
のりこ学級で日本語を学ぶ
私は子供の頃、テレビ番組「おしん」を見て、日本に対して深い興味を持つようになりました。特に日本人が着ている美しい着物や、伝統的な髪型に強く惹かれました。それ以来、「いつか自分も着物を着てみたい」という夢を抱くようになりました。私が住んでいる地域には、日本語を教える「のりこ学級」という学校があり、そこで着物を着るチャンスがあるのではないかと思い、9歳の時からその学校に通い始め、日本語を学びました。
その後、私はカレッジに進学し、2年生の時(15歳)に大きな転機が訪れました。中央アジア弁論大会にのりこ学級代表として参加するチャンスを得たのです。この大会で良い結果を残すために、私は日本語の勉強にさらに力を入れるようになりました。大会に向けて、毎日一生懸命に練習し、スピーチの内容や発音を徹底的に磨きました。この経験を通じて、私の日本語力は大きく向上し、日本語に対する自信も深まりました。
日本語の勉強で工夫したこと
私が日本語を勉強する中で特に工夫したことは、書くよりも誰かと話すことを重視したことです。実際に会話を通して言葉を学ぶほうが、自分にとって楽しく、また効果的だと感じました。話しているときに間違えることがあっても、途中で止まらずに会話を続けるように心がけました。そうすることで、自然と自信がつき、コミュニケーション力が向上しました。
さらに、単語を覚える際には、同時に漢字も一緒に学ぶようにしました。単語と漢字をセットで覚えることで、読み書きのスキルも一緒に身につけることができました。
私が通っていた「のりこ学級」には日本人の先生がいなかったため、私は先輩として後輩たちに日本語を教える役割を担うことが多くなりました。この教える経験を通じて、単に勉強するよりも、他の人に教えることで自分の日本語力がより効率的に向上することに気付きました。教えることで、自分自身も知識を整理し、深く理解できるようになりました。
東京の日本語学校に留学し、大学へ進学
私が日本語学校に留学した理由は、ウズベキスタンでの日本語学習に限界を感じたからです。ウズベキスタンでも日本語の勉強は可能でしたが、特に漢字の習得が難しく、学んでもすぐに忘れてしまうことが多くありました。例えば、新しい漢字を覚えたとしても、二日後にはその漢字を忘れてしまうことがよくありました。しかし、日本の街を歩いていると、日常生活の中で漢字が至る所にあり、自然と目に入ります。そのため、学んだ漢字を実際に使われている場面で見ることで、より記憶に定着しやすいと感じたのです。
私は日本に来る前に、すでに日本語能力試験のN2を取得していましたが、さらに上達させるために日本語学校に通うことにしました。17歳で来日し、日本語学校で6ヶ月間勉強した後、日本語能力試験のN1に合格しました。また、日本語だけでなく英語力も高めるためにTOEICの試験を受け、700点を取得しました。この結果、武蔵野大学に入学することができました。
留学費用と学費
私が日本語学校に留学した際の学費は、当初120万円でしたが、幸いなことに半額が免除され、実際には60万円だけ支払いました。寮の費用は1年間で20万円、その他の雑費は月々約5万円ほどかかりました。交通費はほとんどかからず、寮から学校までは歩いて5分ほどだったので非常に便利でした。
大学の学費も120万円でしたが、私はN1やTOEIC、日本語ビジネス試験、日本語留学試験などで高得点を取ったため、1年生の時は20万円だけ支払えば済みました。2年生から4年生までの期間は、年間60万円を支払いましたが、大学生活では雑費が増えていきました。日本の大学は留学生を誘致するため日本語能力、英語能力が高い学生に奨学金や学費の免除を提供することが多くあります。
日本の大学で苦労したこと
私にとって、日本の大学生活で特に大変だったことの一つは、寮生活でした。ルームメイトがしばしば迷惑をかけてきました。私が疲れて寝ようとしているときに、彼女は音楽を大音量で流したり、部屋の中でダンスをしたりして、私の休息を妨げることがよくありました。寮生活を予定している方に是非相手は誰なのか、シェアハウスルールを合意した方が良いと思います。
また、教室では29人の学生がいて、その中で私だけがウズベキスタン人でした。他の学生は全員日本人で、最初は友人を作るのが非常に難しく感じました。自分から積極的にクラスメートに質問をするように心がけました。最初は恥ずかしさもありましたが、次第に彼らとの交流を深めることができ、そうやって日本人の友達を作ることができました。
学生時代にアルバイトの経験
留学中は、学業だけでなくアルバイトもしていました。留学生はアルバイトする時間の制限(週に28時間)があるため、あえて時給の高いところを探しました。授業後、お台場のZARAで週3回働いていました。さらに、和食レストラン「えん」でも働き、レジ対応やお客様対応など、さまざまな仕事を経験しました。この時、時給は1700円で、残業をするとさらに200円が加算されました。アルバイトでの経験は、言語だけでなく日本の働き方やビジネスマナーを学ぶ上で非常に役立ちました。
就職活動と入社当初気をつけたこと
私の就職活動は、まず色々な企業の説明会に参加するところから始まりました。説明会では、企業の理念や働き方について詳しく学び、自分に合った会社を見つけることを目指しました。しかし、どの仕事でも「とりあえず働ける」と思うような軽い気持ちではなく、自分に本当に合った職場を探すことが大切だと感じていました。
入社後の2週間の新入社員研修では、会社のルールや業務を学ぶ大切な時間でした。研修中に特に心がけたのは、メモをしっかり取ることと、わからないことはその場で質問することです。メモを取ることで、重要な情報を後で確認でき、仕事をスムーズに進める助けとなりました。また、質問を積極的に行うことで、早めに疑問を解消し、業務の理解を深めることができました。この2つを心がけることで、研修を有効に活用し、新しい職場に早く慣れることができました。
日本の会社でウズベク人女性としてはたらくこと
日本の企業は、ウズベク人女性にとっても働きやすい環境です。特に男女平等が進んでおり、性別に関係なく自分の意見をしっかり伝えることが重要視されています。
ただし、働きやすさは職場環境や同僚の性格に左右されることもありますが、積極的に意見を発信する姿勢が良好な職場環境の構築に役立ちます。
日本の会社で学んだこと
日本のビジネスマナーに慣れると、他国での仕事には戸惑うこともあります。たとえば、商談中に必ずメモを取るという日本の習慣に慣れていると、海外ではメモを取らないことが多く、商談内容を忘れてしまう場面を見て、いらいらすることがありました。日本では、商談や会議でのメモは重要視されており、忘れないための基本的なマナーとなっています。
名刺を交換した後、その相手が将来の仕事において重要だと考えた場合、必ず連絡を取り、親しくなるよう努めます。そうすることによって、その後ビジネス関係を構築することは非常にスムーズになります。
日本の会社は自己成長に非常にサポーティブです。例えば現在働いている会社でTOEIC500点を取得した際には10万円、さらにTOEIC700点を取得したときには30万円のボーナスをもらうことができます。それ以外に自分の専門分野の知識は会社が色々な育成講座設けてくれたりします。
これから日本に来るウズベキスタン人女性たちへのメッセージ
日本にウズ女性は少ないですが、その理由は日本が他の国に比べて安全であることを親が理解すれば、将来的に日本で働く、あるいは学ぶ女性の数が増えると思います。
日本に来る目的を明確にすること。ウズベキスタンの女性は男性に比べて、より責任感を持ち、計画を立てて来るべきです。すべての人が5年、10年の計画を持つ必要があります。立てた計画を実行するために強い意志と決断力が求められます。日本は先進国で、日本で頑張って成長すれば世界で活躍するような人材にきっとなれると思います。
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